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記: 東大は、3年生に上がる時に各学科への進学が決まるそうですね。英文科に進まれたのは何故ですか?
柴田さん: 恥ずかしい話ですが、別に「その頃から英文学がすごく好きで……」というわけではないんです。英語は得意だったし、とりあえず英語だったらツブシもきくだろうなって思ったって程度です。ただ得意とはいっても、喋ったりするのは全然できないし、「これじゃ授業についてけないんじゃないか」と思って、一年大学を休学してイギリスに行きました。 記: イギリスに留学されたんですか? 柴田さん: まあ、遊学だね(笑)。1年の時か2年の時か忘れたけど、「もう大学生なんだから、辞書は英英辞典を使いなさい」と先生に言われて書店に買いに行ったんです。でも探していた辞書は見つからなかくて、代わりに見つかったのが、当時よく読まれていた『Hitchhiker's Guide to Europe』という海外旅行用のガイドブックでした。それを読んで、「こうやってヒッチハイク(注1)でヨーロッパを旅行するのも悪くないかなあ」と思って、まず英語が通じる所からにしよう、ということでイギリスへ行ったんです。 記: いきなりの海外でヒッチハイクですか!すごく大胆ですね。 柴田さん: 大胆というよりも、情報持ってないことの強さですね。何があるか全然わからないから、怖がることもないんですよ。向こうについてすぐ、ロンドンのユースホステルに行ったんですが、ロンドンのユースなんてものすごい人気で、何ヶ月も前から予約しておかないとベッドが確保できないんです。でも、そんなこと知ってるわけないから、直接行って「満員です」と断られて、それで一日目は、「じゃあしょうがないし、野宿でもするかぁ」ということで、公園に寝袋を広げて寝ました。 記: よくぞご無事で……(笑)。 柴田さん: ユースホステルが公園の中にあったから、その裏で寝たってだけなんですけどね。でも何も知らないでワーッと海外へ行って、野宿から始めて悪いことはないと思うんですよ。もちろんそこには色んな条件があって、僕は男だから野宿できたけど、女の子で野宿ができるかっていうと、それは別問題。それと同じ事をニューヨークのセントラル・パーク(注2)でできるかって言われたら、男だって、そりゃもう命がけですけどね(笑)。情報を持っていることのプラスももちろんあるけれど、ないことのプラスも大いにあると思う。それで、ロンドンからヒッチハイクを始めたんだけど、夏から行って三ヶ月くらいすると、寒くて寒くて、ヒッチハイクどころじゃなくなりました。仕方ないのでロンドンに戻って、皿洗いのバイトをしながら残りの1年を過ごしました。 記: どうしてロンドンに戻られたんですか? 柴田さん: 一番始めにロンドン行の飛行機で隣に乗り合わせた人が「俺、ロンドンのホテルでバイトしてるから、なんか仕事が欲しかったら来るといいよ」って言ってくれたんですね。で、その人を頼って本当に行っちゃったんです(笑)。今は難しいけど、あの頃は、お金のない外国人がホテルで皿洗いをしていることがけっこうあったんですね。日本人もいれば、イタリア、スペインから来ている人、スコットランドやアイルランドから来ている人もいましたね。 記: イギリスに一年間行かれたことは、その後どう役立っていますか? 柴田さん: 英語を喋れるようになったことが、一番大きいですね。「日本人なんて生まれて初めて見る」という田舎をヒッチハイクしていた最初の三ヶ月間は、本当に効きました。当然向こうは英語しか話せないので、こちらも英語を喋らざるをえない。感覚として英語が身についたと思います。 記: レベッカ・ブラウン(注3)さんが来日された時、通訳をされていらっしゃいましたが、ネイティブかと思うほどの流暢な英語を話されていてびっくりしました。柴田さんの、現在の翻訳者としての土台は、イギリスでの経験が元になっているんですね。 (注1) 通りがかりの自動車などにただで乗せてもらって、旅行すること。 (注2) ニューヨーク市マンハッタンにある、東西800メートル・南北4キロにわたる巨大な公園。犯罪が多く治安が悪いので、夜間一人で出歩くのは危険とされている。 (注3) 柴田さんが翻訳をされているアメリカ人作家。簡潔かつリズム感のある力強い文体で、人と人との微妙な心の機微を描く。2004年11月、最新作『若かった日々』の刊行記念に合わせて来日した。 |