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記: 小島さんは、子どものころはどういうお子さんでしたか? 小島さん: ちょっと普通とは違っていました。というのも、私のランドセルは赤じゃなくてオレンジ色だったの。女の子の友達はみんな赤だったけど、私のは牛丼の吉野家と同じ色!(笑)。それに、水泳の授業で着る水着もセパレートだったの!先生からも「普通の水着を買ってもらいなさい」って注意されたりね(笑)。 記: オレンジ色のランドセルですか?!人と違うものが好きだったのでしょうか?
小島さん: いいえ。これは私の母が、「人と同じではだめだ」という人だったからなんです。何か欲しい時、普通なら「みんなが持っているから買って」とねだりますよね。でも私の母は、みんなが持っているものは持たなくて良いという人でしたから、「誰も持っていないから買って」と言わないと買ってくれませんでした。だから私は、みんなと違うものを持っていることが原因でいじめられて、小学校は不登校でしたね。私はそういう破天荒な親に育てられたため、逆にすごく保守的になりました。 でも中学校で転校してから、個性溢れる人間性の豊かな友達が出来たんです。みんないろいろな趣味を持っていて、それに影響されて、私の興味も広がりました。そこでやっと、人は一人一人違うのだから、自分だって人と違ってもいいんだ、自分は自分でいいんだと思えるようになりました。私は基本的には保守的だけれども、根底にはアウトロー(注1)な部分もありますね。 記: 高校時代はどうでしたか? 小島さん: 私は化粧もパーマも茶髪も一応はOKという、とても自由な都立高校に通っていました。高校時代は相当自由にしていましたしね(笑)。勉強は全然していませんでした。 記: 小島さんは高校卒業後に就職したと伺いましたが、大学に進学されなかったのはどうしてですか? 小島さん: 私はそもそも大学を受験していないんです。私は高校の先生とけんかをしたことがあるんですが、私が大学を受験しなかったのはその先生が私を大学に推薦してくれなかったからだと、つい最近まで言っていました。でも本当は違うんです。本当は、私は全然勉強をしていなくて、大学に受かる自信がなかったから受験出来たのにしなかったんです。 最近になってやっと本当の理由を言えるようになりました。今までの私がなぜ本当の理由を言わずに違うことを言っていたのかというと、私は、大学に受かる自信がなかったという事実を認めたくなかったし、人からもそう見られたくなかったんです。そうやって高校生の頃からずっと、その事実と向き合わずに逃げて自分を守ってきていたのです。 でも、そうして逃げていくと本当に自分のやりたいことが見えなくなってきます。私は本当は大学に行きたかったんです。私はあの時にきちんと自分と向き合って、大学を受験すればよかったと今でも思っています。そして私は30歳を過ぎてから、本当に勉強をしたいと思って通信の大学を卒業しました。 |