インターネットのお仕事人辞典 トップページ > インターネットのお仕事人辞典(R) > ナビゲーター:北原龍一さん[パイロット] > インタビュー
3.どうしてもやりたいと思ったこと~日本へ帰ってから~

 

記: 日本へ帰ってからはどのような生活を送っていたのですか?

北原さん: 日本へ帰ってきて、「さあ、日本の事業用免許を取ろう!」と思ったのですが、免許を取るには400~500万円かかるんですよ。自分にはそんな大金はなかったので、工事現場で仕事をしてお金を貯めました。どうしてもパイロットになりたかったので、自分で稼ぐしか方法はありません。線路の工事などをして、昼も夜も必死に働きました。当時の睡眠時間は2時間程度でした。早朝から夕方まで仕事をして、約1時間の仮眠。それから1時間でも2時間でも絶対に飛行機の勉強をしてから、夜の仕事に行くんです。夜は、終電から始発までの時間に線路の工事をして、1~2時間くらい寝て、また朝から仕事をしていました。1週間のうち6日は仕事をして、日曜だけは休み、飛行機の練習をするという生活でした。そういう生活を3年続けたんです。普通だったら体がもたないところですが、当時は不思議とそういう生活に体が慣れていました。それに、僕は中途半端なことは嫌いなので、工事現場の仕事も手を抜かないで一生懸命にやりました。ちょうどその頃に阪神大震災があったので線路復旧の手伝いにも行っていて、その1年間は線路の復旧作業にずっと関わりながら飛行機の訓練を受けていました。そんな生活を送っているなかで、人の巡り合わせかすごくいい教官に出会えたんです。その人が「君がそんなにがんばっているんだったら僕が育ててあげる」と言ってくださって、とてもお世話になりました。その教官のもとで必死になって勉強をして、とうとう日本の事業用免許を取りました。しかし、事業用の免許を取ったからといって仕事があるわけではないんです。双発の免許(エンジンの数が2つ以上の飛行機を操縦できる資格)、事業用の免許、計器飛行証明の3つの免許がないと日本のエアラインなどは受け付けてくれない場合が多いのです。最後に(日本の)計器飛行証明を取るのにもう500~600万円はかかるので、どうしようかと迷っていました。

記: それから、北原さんはどのような選択をされたのですか?

北原さん: どうしようかなと思ったときに、知人から「ハワイで教官の仕事がある」という情報をもらったんです。その時は日本の事業用免許を取った後だったので、人に教える自信はありました。それで、ハワイへ渡って教官の免許を取ったんです。それからは、主に観光客を相手に体験飛行のインストラクターをしていました。ホテルまでお迎えに行って、操作方法を教えて、最後に島を一周するという仕事を1年間やりました。結構忙しく、家に帰ったら寝るだけの生活をしていたので、大変でしたけれどもね。

記: 大変な思いをしてまで、ハワイで暮らしていたのは何故ですか?

北原さん: 実は、ハワイへ渡る前にもいくつかの会社と話はしていました。それでもハワイへ行ったのは、「どうしてもこの仕事(地球観測飛行や無重力実験飛行)がしたい」という気持ちからでした。僕は父親が地球観測飛行をしている姿も見ていましたし、人があまり乗っていない飛行機を操縦するのにもすごく憧れていました。父の所属している会社は、地球観測飛行や無重力実験飛行では第一線のところです。だからハワイへ行って会社に空きが出るのを待っていました。それに、この会社に入るには飛行時間が必要です。採用しても使い物にならないと意味がないので経験を見て、採用する場合が多いのです。僕が最初に履歴書を送ろうとした時には、「あまりにも飛行時間が少なすぎる。うちの会社は自衛隊で何千時間も乗っている人が履歴書を出している世界だから」ということで断られました。だから、教官をやって飛行時間を増やしながら、空きが出るチャンスをずっと待っていました。そうしているうちに、僕の尊敬する先輩から「パイロットを募集するから、履歴書を出せ」という連絡があったんです。そのとき、この会社で新たにヘリコプターを運行するという噂を聞いたので、ヘリコプターの免許も取って履歴書を出しました。それから半年くらい決まらなかったのですが、結局、父と僕が一緒の飛行機に乗らないという条件つきで入ることができました。それがちょうど5年前です。

 
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