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記: 先生がこれまでに、建築家をやってきてよかったな、と思ったのはどんな時でしょう? 大沢さん: もちろん、お客さんの喜んだ顔を見るのがまず最大の喜びです。僕たちの仕事はお客さん、建て主さんがいて、設計をして家を建てるまでの全部を面倒見るのが仕事だからね。その次に、その土地に建っていて違和感がない建築ができたな、という時がすごくうれしいです。僕はまだその域に達してない部分が多いと思うけど、最終的にそうなりたいですね。 記: 先生の建築家としてのやりがいというのも、そのあたりにあるのでしょうか。 大沢さん: そうですね。そこに住む家族が、その建物を自分たちの大事な財産だと思ってくれる家を造りたい。僕が手掛けた建物に住んだことがきっかけで、建築に進みたいという若者が何人かいるんですよ。僕が建てた家に住んで、建物とか住まいというのが刺激的でおもしろいんだなぁということを感じてくれたということは、とてもうれしいね。 記: 少し今までのことと重なるかもしれませんが、これまでたくさんの建物を造ってきて、いちばんうれしかったのはどんな時だったのでしょう?
大沢さん: 僕の小学校時代からの友達の、たった三坪のお豆腐屋さんのお店を直した時のこと。その時に世田谷区から街並みを良くしたということで賞をもらったんだけど、賞がうれしいんじゃなくて、彼が、 「これで子どもたちに、自分の仕事を誇れる仕事として残せた」 と言った時に一番うれしかったね。それから売上が今までの4倍になったこともうれしい。今では世田谷でいちばん有名なお豆腐屋さんになったようですよ。 どんなことをしたのかというと、彼に、お豆腐屋さんはお客さんにお豆腐を売るだけではなくて、“お豆腐文化”も伝えなくてはいけない、と言ったのね。お豆腐は大豆を煮てにがりを入れて固めたものなんだけれども、日本人にとって昔から切っても切れない縁のある食材です。それを日本人がどうやって大事に食べてきたかとか、こうやって食べたら美味しいですよという、お豆腐を取り巻くすべての情報をお豆腐屋さんが発信していく。だから、お店に“お豆腐とは”という小雑誌を作って置いたり、それから新しいお豆腐のレシピを考えて消費者に伝えたり、お店独自のお豆腐新聞を作ったりしました。 記: 木造の建物を数多く手がけられて来たようですが、その中でうれしかったことはどんなことですか?
大沢さん: 木が生きていると感じたことです。 これは新築住宅の話なんだけどね、3,4年前に大分県で、おじいちゃんが80年前に植えた木を使って新築住宅を建てたいという家族がいたのね。それでお父さんとみんなで山に行って“この木を切ろうな。おじいちゃん、ありがとう”って80本の木を切って、それを山から大変な思いをして下ろして、そして製材所で切る所まで全部立ち会う。‘おびノコ’というのでダーっと切ってくと、80年のヒノキの香りがパーっと香ってきて、それが一本一本の柱や梁や板材になっていく。それをちゃんと見て最後に、リビングの(僕の家は、柱が全部、外に見えるのね)一番みんなが見えるところに立てて、“よかったなあ”とみんなで触ったんです。“ああ、80年前におじいちゃんが一生懸命に植えた木がここにある”という気持ちでした。その気持ちがあればこの家は、子どもたちも孫たちも大事にしようとするでしょう。 棟上の時には家族みんなで紅白の餅を屋根の上から撒く、すごい上棟式をやりました。近所の人たちが100人くらい集まってね。そういうのを見て、この家の家族みんなが末代までがんばろうなっていう気持ちになった気がしたのね。 記: それは家の中の柱ですけど、言わば私たち日本人の、心の中の柱ということですか。 大沢さん: そうです。昔は、大黒柱は家を支える一番立派な柱でしたよね。家がずっと続いていく、継承されていくシンボルとして大黒柱があると思う。大黒柱は一つの家の姿なんです。それは封建的だということもあるけれど、それとは別に、祖先がどういう仕事をしてきて今の自分があるかを考えることが、最近年を取ってきたからかもしれないけど、すごく気になります。 |