|
記: 先生がいちばんお気に入りの建築物は何ですか? 大沢さん: 最近行った、長野の善光寺の周りなんかいいですね。古い木造建築と最先端の建築がお互いに敬意を払いながら、すごくうまく溶け合っている。新しいマンションの一部に、かわら屋根の庇(ひさし)を渡していたりね。それから海外では、上海が魅力的だね。あそこは段々古い町がなくなっていくけれども、上海の歴史の中でイギリス人や日本人が造ってきた重要な建築物と新しいものがすごく溶け合っている。古いものをうまく活用しているね。 記: 建物と街の関係はとても深いですが、どんな街になったらいいなと思われますか? 大沢さん: 一戸の建物とは別に、ひとつの街全体がホッとするような感じがまず大事だね。街並み全体がいい街というのがあって、その中でシンボルになるような光る建築や歴史が残っているとか、がんばってデザインしているとか、そういうものがあるのがいい。がんばってというのは、街の人たちに対して「どうぞおいでください」と発信しているということかな。ただ古いものが映画のセットみたいに並んでいるのではなくて、古いものと新しいもの両方が響き合っている都市とか街が大好きです。 それから、家の顔が街に向いていて、街からも受け入れられているのがいいですね。最近クリスマス近くになると、自分の家の木をツリーにしてピカッピカッとやっている家が多くなったでしょ。あれは自分がうれしいだけじゃなくて、通りがかりの人に“私もクリスマスをみんなとお祝いしてるんですよ”というのを見てもらいたいこともあるじゃない。そんな街と家の関係を作っていきたい。 昔は家を囲むのは生垣で、ちょっと通りかかると声がかけられるような感じだった。ところが今の郊外住宅はほとんどの家が塀を高くして、中には、入ると赤外線が察知してブザーが鳴る家もある。それに、今はすごく閉鎖的で窓が少ない家が多いでしょ。そうすると周りは取り付く島もないという感じ。人間でいえば、冷たくて、ちょっと話しかけても事務的な話しか返ってこないという人だね。 都市の顔は、ひとこと言えば色々な言葉が返ってきてどんどん受け入れてくれる人のようになってほしいです。 記: この事務所が神楽坂にあるのは何か理由があるのですか? 大沢さん: それはね、この町が昔から好きだったのと、僕が最初勤めたのは市ヶ谷でこの近くだったのと、友達が神楽坂にいたのと、それと神楽坂の界隈で若い時ずいぶん飲んでいたのと。それから今も江戸時代の情緒が多少残っていることもね。そして水道町という歴史のある名前も好きです。というのは、日本の最初の水道がこの近く、今の高速道路の北側に、神田上水から分岐して、今の後楽園辺りを通って神田川を立体交差で渡ったのね。それで水道橋という電車の駅名がついたんですね。それと、家賃が安かったのが、、、(笑)。 記: なるほど(笑) 大沢先生がこれまで建築の仕事をしてきて、自分が一番納得できたお仕事というのはどんなことだったのですか?
大沢さん: 今から十数年前に東京都の町田にあるお寺で、住職御一家の住宅と、法事をやるための書院の両方をやった仕事がありました。今考えてみると、それが一つの転機になったと思います。徹底的に木造でやろうと思ったのと、新建材を使わずに自然素材で造ろうと思ったことと、それから昔の建築をやろうと思ったことと。今の木造住宅は外観から木が全然見えないじゃないですか。そうではなくて外にも中にも木がちゃんと見える建築、すなわち昔の建築ですね、それを徹底的にやろうと思ったのはその時で、そこから今の民家再生の仕事につながったと思います。 記: そうなんですか。先生に関係するホームページを拝見しているとすごく木にこだわりが見られるんですけれども、そこまで木にこだわるのはどうしてですか? 大沢さん: やればやるほど木がすばらしい材料だったからかな。 僕は普通の家のリフォームを随分やってきたんですね。その中で感じたのは、木がリフォームに耐えるすばらしい材料だということです。 木の弱点の一つに、雨がかかると腐りやすいという問題がありますね。でも、腐った部分だけ取り替えればまた使えるところが、木のすばらしさです。 それから日本には国土の七割近くの、たくさんの森林があります。森林は成長した木を使っていかないと保全できません。切って使ってまたそこに植えて、そして80年経ってまた成長する、というサイクルで日本の森林は守られてきた。けれども今、外国の木材がすごく安いものだから、森林をきちんと管理して育てても割に合わない。そこで、日本はこれだけ祖先が一生懸命に木を植えて木材が豊富なのだから、森を守るためにも日本の木材を使った家を造っていきたいなと思いました。 記: 昔ながらの民家が街から消えていっている、どんどん潰されていっているのはなぜなのですか? 大沢さん: どんどん潰されているのには2つの問題があります。昔ながらの民家がなくなっているのはどちらかというと地方なんですね。 一つめは、地方には過疎化の問題がある。都会に人口が流入して、若者が農業や林業などの第一次産業に就かずに二次産業や三次産業に行ってしまった。それで昔ながらの家を守る人、継ぐ人がいなくなって潰されてしまう。 二つめの問題は、都会から戻ってそこで仕事ができる、経済的な受け皿が地方にないことです。仕事のないところに人は住みませんね。 でも、この不景気の時期に地元に戻って仕事をしようという動きもあります。仕事をすれば当然拠点として住まいが必要だから、昔からの家の中を改造して住もうと思いますよね。 都会の場合には固定資産税の問題とか税金対策とかで昔の大きな家を維持できないとか、プレハブ住宅で簡単に暖かい家が建てられるから、その方向にみんなが向いしまったという問題があります。簡単に言えば、日本の木造住宅の良さが普通の人からは忘れ去られてしまっている、ということかな。
記: 日本民家再生リサイクル協会というのは先生が立ち上げられたのですか? 大沢さん: いえ、ぼくは最初の発起人の一人で、最初は40~50人の仲間で始めました。民家がどんどん壊されていて、あんな財産がどうしてゴミとして捨てられてしまうのかと危機感を持って、何とかリサイクルして使えるようなシステムを作ろうというのが、スタートです。民家というのは藁葺き(わらぶき)屋根の昔ながらの家だけではなくて、30年前の普通の家も入ります。 記: その活動を始められてから、周りの意識は変わってきましたか? 大沢さん: われわれの協会をきっかけに、とは手前味噌だから言えないけれど、ほぼそれと平行するようにマスコミが民家を非常に取り上げてきました。古い民家を使った「再生」というのは雑誌にもマスコミにも登場します。最先端のファッション雑誌の背景にも古い住宅が写る。そういう古いものが当たり前にファッションになってきたのは、もしかしたら民家再生に関係あるのかなと思うね。 今まで戦後50年間、日本人はとにかく古いものを捨てて、新しい家や車を手に入れてきたけれども、家というのは車と全く違ってがんばれば何百年も使える財産だということを日本人がだいぶわかってきた。そういう気運が出てきたのは民家再生協会も含めた、古いものを大事にしましょうという運動が浸透してきたのかなぁと思います。 |