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記: 先生が書道家になるきっかけは? 今川さん: きっかけは高等学校の3年の2学期くらいだったでしょうかね。階段を上りきった所に踊り場がありますよね、その突き当りの壁にある大学の書道科の案内があったんです。体育の授業が終わって教室に戻る途中に、それにばったり出くわしたんですよ。それを見て「ここに行こう」ってその場で決めたんです。 記: それまで書道に触れていた事はあったんですか? 今川さん: それまでは高等学校で書道部に入っていました。私が入った当時は昭和28年かそこらのことですから、みなさんからすれば遥か昔の事ですね。その当時は書道部入部者が結構いたんですよ。各学年300人のうちだいたい20人前後で、3学年だけだと50~60人位いました。
記: なんで人気だったのですか? 今川さん: 人気というよりそういう時代だったんでしょうね。部活は今みたいに種類があんまりなくて限られていましたが、盛んでした。 記: 書道家の道に進むというのは珍しいことなのですか? 今川さん: その当時書道を専攻する大学に行くなんてことは常識外でおそらく私が初めてだったと思います。 記: その他の方は? 今川さん: 今と同じようにいろんな学部に散って行きました。今でもOB会があって、書道を趣味的にやっている者はたくさんいますけど専門でやっているのは私など数人だけですね。 記: なぜ書道部に入ろうと思ったのですか? 今川さん: 小学校のころから書道をやっていたので、それもなんとなくやっていたんですけどね。結局中学に入っても書道をやってたわけですよ。 記: 小学校の時から自然に生活の中に書道があって、その流れで高校でも書道部に入って、それで書道家になろうと思われたのですか? 今川さん: 簡単に言うとそういうことになるんだけどね。 記: 字を書くのは好きだったんですか? 今川さん: 字を書くのは好きでも嫌いでもないし、そういう自己判断を全くしなかったんだね。 記: 書道家になろうと思ったのは、自分に才能があると思われたからですか? 今川さん: 才能があると特に思っていたわけでもなかったけれど。子供の頃教わっていた先生が、私の作品を展覧会によく出させたんですよ。小学校5、6年の頃ですね。当時のことですから金賞とか銀賞とか銅賞とかそういう賞なんですよ。その頃は賞状が出品者個人の所に来るのではなくて、学校にくるんです。そうすると校長先生が学校集会の時に壇上からくれるんですよ。のこのこ出てってね。それが嬉しいんですよ。賞状を貰うというのは、田舎だから珍しいことなんですよ。 記: 小学校はいつ頃から書道をなさっていたのですか? 今川さん: 小学校一年の頃はちょうど終戦なんです。昭和20年。まだ日本は国を作ることに精一杯で、人を作るとかシステムをどうするだとか人的養成をどうするかなんて、まだ一切手が回らない急場しのぎの時代でしたね。食糧事情を良くする事が先に立つ貧しい時代だったわけですよね。文化的なことは一切ない。特に田舎へ行けば行くほどないですね。ただ私が小学校1年の時、単身疎開した山形で、そこで書道の先生3人に偶然出会ったんです。母親の実家の前に、書道の先生が住んでいたんですね。それから私の担任の先生のご主人が書道の先生だったんです。もう一人は、100メートル位離れた所に住んでいた大学生が書道をやっていたんですよ。その学生に私が教わったら、あっという間に村の子供たちも来るようになって生徒が10人くらいに増えたわけです。その頃は、教える場所が一般家庭には無いですから学校が教場になりました。学校はすぐ貸してくれました。 記: 物が無い時代に文化というのは珍しいですね。 今川さん: そうですね。今考えると珍しいし、よくあったなと思うね。紙は新聞紙です。和紙は高級品でめったに手に入らないですから、和紙を使うのは清書の時だけでした。新聞紙に一生懸命練習したり、棒っ切れで土の上に練習したり。 記: 手を使う事が好きだったんですか? 今川さん: 好きというより他にやる事がなかったんじゃないかな。遊びはたくさんあったけれども。 記: どんな遊びですか? 今川さん: ベーゴマとか。冬になるとスキー、スケート、そりですね。雪を投げたり。スキーの板は売ってたけど高くて買えないので作りました。自分で枝を切ってきてそれを平らに削ってね。火であぶると先が反るんです。それに金具もつけないで、適当に釘を曲げて縄で縛って、長靴をつけてすべるんです。ストックは棒っ切れでできますからね。 記: 物が無い時代の発明ですね。 今川さん: 太い竹を半分に切って先を曲げて穴を空けて紐を通すと、下駄と同じ状態になるわけです。下駄スキーといってね。坂道に水かけて凍らせて、みんなでふんでつるつるにする。そして何回か滑ってるうちに跡がついてそこをみんなで滑ったりして。あとは1人で乗るそりや大型の30人くらいが乗るそりを作ったりしたんですよ。私の場合、書道以外に文化なんてものは影も形もなかったんです。 記: 身近だったんですね。 今川さん: 書道そのものはね。あの時代ですから、ボールペンも無いし万年筆も貴重品だったでしょ。でも鉛筆と筆はだいたいどこの家庭にもあったんです。ですから毛筆的素養は今の時代よりもあったのではないでしょうか。 記: ここまでずっと書道をやってきたのはなんででしょうか? 今川さん: よくわからないけれど、今考えると他に選択肢がなかった。迷う事もないんです。小さい時からの流れじゃないかな。書をやったら何があるとかどうなるとか考えなかったね。もうこれにしようって決めたんです。
記: その当時書道の道は珍しかったんですよね?不安はなかったですか? 今川さん: 不安は無い。誰にも理解されなかったし、珍しいなんてものではなかった。これでいいかなとも思わないし、書の道に進んで当たり前というのでもないんですが、不思議と不安も迷いもなかった。 記: 書道以外に何か好きな授業はありましたか? 今川さん: 書道以外は…。どっちかっていうと僕は文系だからね。子供の頃から、詩とか俳句とか小説まがいのことをよく投稿はしてましたよ。 記: 文学がお好きだったんですか? 今川さん: 好きというよりもやることなかったんでしょうね。たまたま親が“少年タイムズ”という子供用のタブロイドの新聞を定期的にとってくれました。それに投稿欄というのがあって、それにいろんなものが出てるんです。そこに出すとたまに載ったりするんですよ。自分が書いたものが活字になると、ものすごくうれしいのね。活字っていうのは非常に貴重な存在でね。中学校の1年位までそれをやっていました。 記: 書道家以外にこんな仕事やりたいなというのはありましたか? 今川さん: 書道家になりたいとも考えなかったね。遊ぶ事に夢中で。周りも考えてなかったというか。無頓着というのではないんでしょうけれども。夏は最上川で水泳して、川で捕れた物ををかじったりしていました。野生児といいますか。人生とか、生き方とか、誰が何をしたとか、どんな仕事をしたいかっていうのはまるっきり視野に無かった。 記: 今の私たちの状況は不思議ですか? 今川さん: いや、不思議でもなんでもない。生まれた時に自分で時代は選べないよ。 記: その当時大学に進学する人の割合は? 今川さん: だいたい全国で平均20%前後いたでしょうかね。 記: 他の人たちはほとんど就職ですか? 今川さん: そうですね。大学進学率は非常に少なかったと思いますよ。高校進学率が40%~50%あったかな。それも都市部から農村部に行くにつれて低くなりますね。都市部は結構いたんでしょうけど、私の地元では高校はだいたい50%位でしたね。大学へ進んだのは私の小学校の場合は5,6人ですからね。 |