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※日本の国土の約67%を森林が占めており、そのうち約4割が、人の手によって管理されている人工林である。これだけ大規模な産業でありながら、普段私たちは林業について知る機会や、そこで働いている人達と接する機会はあまりない。今回お話を伺った速水さんが経営していらっしゃる速水林業は、三重県の海山町に1070ha(町の民有林の10分の1の面積を占め、そのうち816haが人工林で、99%をヒノキが占めている)の経営面積を持つ日本有数の林業経営。環境配慮型の森林経営という新たな発想を持って経営されている。
記者(以下、記): 林業と聞くと、一般的に「作業着にヘルメット姿」を想像してしまいますが、速水さんは「スーツにネクタイ姿」で、どこか企業の経営者といった雰囲気を感じます。スーツを着る機会は多いんですか? 速水さん: そうですね。今は森林経営の制度改革に関する仕事が忙しくて、スーツを着て東京の役所に出向いたり、議員の方達と会ったりすることが多いですね。できるだけ三重の山にいたいと思っているんだけど、週に2~3日いれたらいいほうかな。でも、山が好きだから、可能な限り現場にいたいと思っています。 記: 林業を始めたきっかけはなんですか? 速水さん: それは、難しいことでも何でもなくて、私の父が楽しそうにやっていたから。今でも楽しいことには間違いがないんだけど、小さい頃はよく山に行っていて、とにかくすごく楽しかったんです。 記: どういう経緯で、林業に関わるようになったのですか? 速水さん: 中学生の時に東京に出たのですが、大学を卒業して結局三重に戻ってきました。僕の場合、姉が2人いまして、男は僕1人でしたが、だからといって林業を両親に強制されたわけでもないです。大学を卒業する昭和51年当時は、オイルショックで大就職難だったんですが、中学の頃からずっと続けていた陸上競技で、当時マネージャー(主務)をやっていた縁もあって、OBの企業の社長さんに「うちにこないか」と、お声をかけてもらったこともありました。しかし、よく言われるような「田舎に暮らしたい」ではないですが、「田舎のコミュニティのしっかりとした構成員としてやっていきたい」、そんな気持ちがありました。今と違って当時は、林業経営は誰かに任せ、自分は都会で給料を稼ぎ、お金がいる時だけ山に戻って木を売る、というように、都会に住んでいてもやっていける時代だったんです。でも私の場合、そういう生活より三重に戻って、そこで林業をやろうと決めたんです。 職業というのは、完全にフリーな状態から選択するのは当たり前なんですけど、人によっては目の前にチャンスがある人っているわけですよね。たとえば、親が医者で病院を経営している、というように、もし自分がしたいと思ったらできる。林業もそうなんです。選択する時に僕の場合は林業というのが目の前にあった。まぁ、難しい選択をしたわけではないですよ。 |