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記: でもお父様は信用金庫に勤められるってなったときに、なんにもおっしゃらなかったんですか? 饗庭さん: なんにも言いませんでしたね。 記: 戻ってくると信じてはったんですかね。 饗庭さん: と思いますよ。 記: 饗庭さんは小さい時からお父様の働いてる姿を身近に見てきてると思うんですけど、饗庭さんにとってお父様とはどんな存在ですか? 饗庭さん: どんな存在なんでしょう、まぁ男同士ですからね。一種、ライバル的には見てるんでしょうね。師弟関係ですし。 記: うちわ作りの技術は、お父様から習われたんですか? 饗庭さん: いえ、こういう世界ですから、技術は見てとって、です。番頭さんも、教えてっていうと教えてくれるとは言うてくれますけど、でも目の前でやって、こうすんやって言うだけですから。はいやって、ですからね。でもね、教えるほうになってみて初めてわかりました。教えたらつぶれます。やっぱりコーチングをしちゃうとですね、それをクリアした時点で出来たと勘違いするんです。しかもその過程の中でそれをどうやったらええやろうか、どうやったらそこに行き着くのかっていう思考がないんですよ。だから、教えてしまうと完全に止まりますね。そういうことを理論的に教えられないこの世界はいけないという言い方をよくされますけど、プロとしての仕事をしようとしたら、教えるべきではないでしょうね。だから、会話は体育会系です。なんて言うんでしょう。要は野球選手がグラウンドの中で喋ってるのと一緒なんです。お前この目の位置がこうやからこういう見方でこうしかできへんのや、とか、手の持っていきかたがこうやからここがお前は下手なんや、とか。で、こうすればもっと良くなる、とかいうのは各人言うてます。でも全員自分が一番上手いと思ってて、その各人が言うことはどれも他の人には当てはまらない条件やったりするわけです。やっぱりそれぞれ自分の肉体的な条件やフィーリングがありますし、教えられる域を越えて、プロとしての仕事をするんだったら、その自分の条件の中でいかに結果を求めるかっていう世界ですよ。だからコーチでものが出来るんであれば、イチローと同じ打ち方を教えれば、みんな4割打てるわけですよ。みんな条件が違い、背負ってきたものが違い、フィーリングも違う。だからコーチが出来ることには限界があるんですよ。自分の形なり自分のやり方なりをつくっていくことがやっぱりひとつのプロとしての仕事ですからね。だからよく、道具が作れないとプロやないと言われますよね。どの世界でもありますけど。その辺の必然性というのも僕はこれから説いていかないかんのちがうかなと思いますね。 |